KYASHがとても便利という話

今更感はあるのですが、KYASHが数ある個人間送金アプリのなかで気に入って愛用しています。 個人間送金アプリの現状に関しては以下のサイトに詳しく書いてあります。

ユーザー体験から紐解く「個人間送金」アプリの仕組みと歴史(日本編) | hajipion.com

常日頃から「俺は金が欲しい訳じゃなくて、金で買えるものが欲しいのだ」と言っているので、現金化できないというポイントはあまり気にならず、むしろ残高を使う手段がどれだけ用意されているかの方が大事でした。KYASHはアプリを利用開始した時点でVISAのバーチャルカードが作成され、KYASHで送金されたお金をそのカード経由で利用することが出来ます。現在はネット通販等に限られてしまうのですが、実店舗でも利用できるようになっていくみたいです。Amazonでお買い物するのと、モバイルSUICAのチャージが出来るので、首都圏内で生活している人の大半はそのお金の使い道には困らないと思います。

KYASHで支払いをするためにはKYASHのアプリをインストールする必要があり、割り勘が必要になった際に全員がKYASHユーザーと言うことはなかなかないので、そういった純粋な割り勘アプリとしての使い勝手は他のアプリより悪いかなと思います。paymoはアプリインストールなしに支払いできるし、LINE Payだと大体のユーザーがLINE使っているだろうし。おそらくは10人とか20人とかといった宴会みたいなものの割り勘はKYASHではあまりターゲットにしていない感じがします。

2~4人くらいで旅行に行ったときの旅費精算みたいなケースはかなりKYASH向きのシチュエーションですね。このくらいの人数なら、その場でインストールしてもらうのもそれほど難しくないし、高速道路のETCを通過したときとかガソリンスタンドで給油したときとか、その場で請求→支払いが出来るのはとても楽です。従来はレシートとっておいて旅行の終わりくらいにまとめて精算してましたから。車旅行の運転手だったり、幹事的な人に感謝の投げ銭が出来るのもいいですね。

あと、自分はMoney Forwardでお金の出入りを管理してるのですが、KYASH経由のお金の出入りもちゃんとMoney Forwardで管理できるのがとてもいいです。すべてのお金の出入りが勝手に記録されるとうれしいので、KYASH経由の送金がちゃんと記録されるのは本当にありがたいです。

「最近、あんまり現金使わなくなって、だいたいカードかSuicaで支払ってるなー」という人ほどおすすめですね。

会社内のリバースプロキシサーバーをALBに置き換えた話

うちの会社、社内に開発用だったりその他諸々のサーバーが結構動いているのですが、そろそろこいつらのお世話から解放されたいので、ここ1年くらいはサーバー削減を進めています。

基本的には外部のマネージドサービスに置き換えていく方針でやっています。特に落ちると困る人がいるようなヤツは優先的にやっつけようとしています。

で、そのうちの一つがnginxで実現しているリバースプロキシサーバー。こいつは社内ローカルのVMで動いてるアプリをインターネット経由でアクセスできるようにするために利用しています。クライアントチェックだったり、https通信が必要なものだったり、そういう用途で使われることが多いかな。

上記のサーバーをAWSにお引っ越しする話。

結論から言うと、表題通りにALBにお引っ越ししました。必要なことは以下の通り。

  • 社内ローカルネットワークとVPNで接続されているAWS上のVPCネットワーク(インターネットゲートウェイを持つ必要あり)
  • 接続したいバックエンドのサーバーごとにターゲットグループ作る

まず、ALB自体がVPC内に作られる訳で、それがバックエンドのローカルサーバーに接続できるというのが大前提。ですので、社内ネットワークとAWSVPCVPN接続で相互通信できるようにしておく必要があります。

ALBは上記VPC内に作るわけですが、ALBではホスト名やリクエストパスに応じて接続するサーバーを変えることが出来ます。正確にはリクエストの条件によってターゲットグループを選ぶことができ、ターゲットグループに実際に接続されるサーバーがぶら下がっています。

現在のnginxで実現しているリバースプロキシサーバーでは、ホスト名ベースのバーチャルホストの設定で接続するサーバーを切り替えています。ALBではターゲットグループを選ぶことルールとしてHostヘッダを利用できるため、そちらを利用して実現しました。

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図にすると、とりわけ大したことしてないな…。

あとはDNS側でリバースプロキシしたいホスト名をALBに向けたら完了です。新しくリバースプロキシの設定を追加する際は以下の作業を行います。

  • ターゲットグループを作成し、追加したいサーバーのプライベートIPを設定する
  • ALBに上記ターゲットグループを追加し、ルールとしてHostヘッダにアクセスさせたいFQDNを設定する
  • DNSに設定したい名前がALBを向くように追記する 

上記の一連の作業をスクリプト化し、自動で行えるようにしておくといいかと思います。slackのbotで実現しようかしら。

これで社内のリバースプロキシサーバーを、AWSのALBというマネージドサービスに移行することに成功しました。このサーバー、設定のデプロイがgitlab-ciで行っていたり、サーバー自体が廃止予定のストレージサーバー上に構築されていたりと、なにかとサーバー削減の障壁になっていたので、これで色々サーバー削減が進みそうです。

コミットログは英語で書くべきかという話

昨日同僚とコミットログを英語で書くべきかという話になり、自分でもあんまり考えてなかったんだけど、人と話して少し整理できたのでまとめておこうかと書いてます。

まず、今自分はどうしてるかというと、基本的には英語で書くようにしています。書き始めたきっかけはなんとなくで、英語苦手だけどちょっとチャレンジしてみようというくらいのノリではじめました。
オープンソースコミュニティを見渡すと、日本のソフトウェアでも英語でかかれていることが多く、それが一般的な作法である、という程度の理解をしています。
一方で、会社内のプロジェクトで基本的に日本人しかいないのに、わざわざ英語で書く必然性はないという話もあります。コミュニケーション手段なので伝わらなければ意味がなく、わざわざ不得手な言語でやりとりする理由はない、と。

自分は、プロジェクト等で英語を採用することで著しく不利益になることが見えている、と言うことでなければ基本的に英語で書くべきかなと思ってます。
一番大きな理由は、世の中のソフトウェア開発、特にオープンソースコミュニティでは基本的にそのように行われているからです。そして、会社で採用する技術、やり方を基本的に世の中の標準に合わせ、どこでも通用するようにすべきと考えているからです。会社で優秀な人はどこに出ても優秀な人であってほしいし、優秀な人が会社にジョインしたときはその能力がすぐ活かせる場所であってほしいです。

ここ数年、国内だけで仕事していても英語を書かなければいけないという機会が増えてきてると思います。グローバルなクラウドサービスを利用する機会が増えてきているのですが、サポートとお話をしなくてはいけない場合、その言語は必然と英語になってしまいます。それもあって日常的に英語を書くということに慣れておきたいという気持ちもあります。

どう書けばいいかわからない、という人もいるかと思います。みんな同じ悩みにあたるらしく、「コミットログ 書き方」等で検索すればいろいろ記事が出てきますので、目を通すといいかと思います。

anond.hatelabo.jp

個人的に気に入った記事はこれ。コミットログの例を集めて羅列してあります。自分もコミットログの大半は「Add ...」「Modify ...」「Remove ...」「Fix ...」で始まってますね。

postd.cc

qiita.com

github.com

このあたりも。

THE IDOLM@STER MOVIE~輝きの向こう側へ!を公開初日に見てきた

劇場版の制作発表があったのが去年の2月のライブ。それから約一年の月日を経て、ついに封切となった劇場版アイマス。舞台挨拶付きのチケットを手に入れることが出来たので、見てきました。

ざっと1回見てきた感想をば。まだ受け取り切れてない劇中のメッセージがいっぱいありそうで、何回かは見に行きたいですね。

以下ネタバレ含む。

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波戸さんの引退試合、ブルーカード新年会、新体制発表会

1/18、ニッパツ三ツ沢球技場波戸康広引退試合が行われました。Jリーグ2連覇を成し遂げたメンバーを中心としたマリノス All Starsと、天皇杯優勝を最後に消滅した横浜フリューゲルスのメンバーを中心とした波戸Friends。どちらもそうそうたるメンバーが集まりました。

…まぁ、今年一発目のチケット購入したけど発券すら出来なかった試合になったわけですが…。とりあえずTVKで録画中継やってたからそっちで改めて見ましたが、試合終了間近の波戸さんのハットトリックが決まった瞬間に両チームの選手がベンチメンバーも含めて波戸さんのまわりに集まり、そのまま胴上げするシーンは泣きましたですよ。

その後は自分が所属するサポーターグループであるところのブルーカードのシーズン一発目のミーティングをかねた新年会。3時間にわたってのミーティングは白熱し、気がついていたらノートに取っていたメモが7ページを超えていました。いずれブルーカードというグループに関する話は取り上げてみたいと思いますが、サポーターグループという言葉からイメージされるようなものとは全然違う感じなんじゃないのかなあと思っています。今年どれだけ試合に行けるかはわかりませんが、またこのグループで一緒に戦っていけることがとても楽しみです。

日が変わって1/19はマリノス体制発表会。を見に行っている人のツイートを追っかけていました。オレンジの新ユニフォーム、中村俊輔の10番などいろいろなトピックはありましたが(GKユニ、あれ凄く女子中学生の体操服っぽい)、もう新シーズンが始まったんだなあと実感しました。

試合自体は2/22のゼロックススーパーカップから(アイマスライブにそのままハシゴ予定w)始まりますが、横断幕の準備や各地域のポスター活動など、サポーターのシーズンは一足先に始まるのです。いいシーズンのために、いい準備が出来るといいなあと思う次第であります。

天皇杯優勝

明けましておめでとうございます。はてなブログのアカウント取っていたことを今更ながら思い出したのと、マリノスの応援を始めてから初めてタイトルを取ったので、一つ区切りとして振り返りたくなったのです。

マリノス自体のことはJリーグ開幕戦を実家(岡山県津山市)でテレビ観戦し、なんとなく気にかける程度でした。当時中学1年生の自分。友達とサッカーゲーム的なもので遊ぶ際は(多分エポック社Jリーグエキサイトステージだったかと。多分ジーコサッカーではない)いつも横浜マリノスを使うとか、その程度でした。

その後大学進学で藤沢へ。まだスタジアムに足を運ぶことはなく、降格争いもナビスコ優勝も完全優勝もチャンピオンシップも、テレビの中の出来事。いやはやもったいないったらありゃしない。

転機があったのは2005年。友人に誘われてユベントスマリノスプレシーズンマッチを観戦したあたり。メインスタンドの席にのんびり座って見ていました。実際にサッカーの試合を生で観戦したのは初めてで、その時のマリノスのゴール裏がものすごく楽しそうに見えたのが衝撃的だったのを今でも覚えてます。それからホームゲームのチケットを買い、一人でゴール裏にひょこひょこ現れるようになり、声を出して応援するようになりました。この頃はまだアウェイに行くという発想自体がなかったなぁ。

そして迎えた2006年。忘れもしない3月25日の第5節浦和戦。横断幕事件の試合。もっとも横断幕の事の重さを自分が知るのはもう少し後の話。この試合は1-3で敗戦したのですが、この時に初めて、自分が今までしていたことは応援じゃなくてただ楽しく歌っていただけなんだということに気づいたのです。自分がサポーターという生き物になった瞬間があるのならば、多分この試合に負けた時がそれだったのでしょう。家に帰り、すぐにアウェイ甲府戦のチケットと交通手段を確保したのを覚えています。あと、次の試合は終了後にまっすぐ歩けずに声もろくに出ないくらいに飛び跳ねて声を出したことも。

その後応援場所をよりコアゾーンに近いところに移し、フラフラしているところを応援グループの中の人らしき人に声をかけられ、バンデーラに入り、横断幕の設置や撤収を手伝うようになりました。しばらく手伝った後、そのグループであるところのブルーカードに正式に参加することになりました。

個人的に忘れられない試合はそこから何試合かあります。2007年は横浜FC戦の敗戦と8月の8-1の試合。それに加えて4月のアモール歌いっぱなしのアウェイ日本平での清水戦やナビスコ準々決勝2ndレグのアウェイ等々力での川崎戦。ゴールキーパー直樹。

2008年は桑原さん最後の試合になった三ツ沢での新潟戦とリーグ終盤でのアウェイフクアリでの千葉戦かな。千葉戦はモチベーション的に残留争いの最中にいる千葉のほうが高い状態で、その中で気持ちで上回って勝った試合というのがあってよく覚えているのです。

2009年は三ツ沢での神戸戦5-0。CKのスーパーセーブからのカウンター山瀬功治のスーパーシュートが決まり、その後はお祭り。あとアウェイ等々力でのナビスコ準決勝2ndレグと日産での天皇杯川崎戦。タイトルを阻止された試合って言うのはどうしても忘れられずにいます。

2010年からは参戦できる試合数が減ってきたのですが、この年はやっぱり最終節直前の直樹戦力外が全てだった気がします。あのとき、戦力外にならずにマリノスに居続けてくれたら、というのはきっとみんな考えることでしょうし、考えてはいけないことでもあるのでしょう。

2011年から先は、自分にとっては3月11日の地震、そして8月4日の松田直樹の逝去から立ち直るための日々だったと思います。そして2011年12月29日の国立での京都戦、2012年12月29日の国立での柏戦。2008年と合わせて天皇杯準決勝で負け続ける日々。ナビスコカップと合わせても、自分はタイトルのかかった試合というものを一度も経験することなく、2013年を迎えました。

2013年に関しては、リーグ終盤の2試合。そして天皇杯ベスト8からの3試合が多分今後も記憶に焼き付いていくのでしょう。新潟が強かったから仕方がない、と無理に切り替えようとした6万人越えのホーム新潟戦。何が起こったのか、感情で理解できるまで相当な時間がかかった最終節アウェイ川崎戦。タイトルのかかった試合を戦える喜びと、それを失う絶望を知った2試合でした。毎日の通勤で武蔵小杉駅を通過する度に悔しさがこみ上げる日々でした。

そんな中でのアウェイ大分戦での延長勝利は格別でした。そしてホームでの鳥栖戦。ベスト4の壁を破る瞬間もまた格別。この2試合の勝利によって3度目のタイトルのかかった試合へ挑める権利を手に入れたわけです。

そして2014年1月1日。マリノスは21年ぶりの天皇杯を、自分は応援を始めてから最初のタイトルを手に入れることが出来ました。試合終了のホイッスルと同時に何かぞくぞくしたものが全身を駆け上がり、等々力のリーグ最終戦と逆で、頭で理解する前に感情が爆発しました。いやあ、初めて見たけど表彰式って遠くて見えないもんだなとw。そして起こる直樹コールで、自分は初めて直樹のために泣けたのではないかなあと思いました。こうして自分たちは2013年シーズンを笑って終われる唯一のチームとなり、また2014年に天皇杯を2勝する権利のある唯一のチームとなることが出来たわけです。

ブルーカードというサポーターグループに入っていて、いろんな人に支えられて、ようやくここまで来れたことを考えると、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に仲間って素晴らしい。若い人たちが、本当に自分で何が出来るかを必死で考えて、それを形にしようとするのは本当に素晴らしく、自分が同年代だった頃を思い返すと本当に比較にもならないくらいに凄いなあと思っています。

2014年はどう過ごすか、何が出来るか。短いオフの間にでもゆっくり考えますかね。