テレビアニメ「氷菓」の話

京都アニメーションが制作した「氷菓」は米澤穂信さんの「氷菓」「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」「遠回りする雛」(<古典部>シリーズ)を原作とするテレビアニメーションで、米澤穂信さんと京都アニメーションのファンである自分がすごく楽しみにしてた作品でした。

いわゆる「日常の謎」と呼ばれるミステリにカテゴライズされる作品で、謎解きの部分の面白さや、心を針で刺されるような鈍い痛みを伴うお話を、本当にちゃんと映像化できるのか、楽しみにしながらも不安を抱えて待っていたことを思い出します。

実際に完成したアニメは、もちろんミステリの謎解きの部分の表現に関しては小説の方が圧倒的にアドバンテージがあるものの、米澤穂信さんの最高の魅力だと思っている「なぜそれをやったのか」という部分においてものすごい密度と繊細さで描かれており、原作の魅力が余すところなく伝えられるそんな作品でした。

アニメ終了後も<古典部>シリーズは続いており、「ふたりの距離の概算」「いまさら翼といわれても」と続きも書かれています。シリーズは主人公の折木奉太郎の高校卒業まで続くらしく、それらの作品をまた京都アニメーションによるアニメ作品としても見られたら嬉しいなとずっと思っていました。

心動かす素敵な作品を、本当にありがとうございました。青春の苦さを鮮やかな色彩で切り取ったあなたの作風が大好きでした。 心よりご冥福をお祈りいたします。

「天気の子」の話

新海誠監督の最新作「天気の子」を金曜日の公開日に渋谷TOHOシネマズ朝9:00からの回でを見てきました。 「君の名は。」で一気に有名な監督になってしまい、舞台挨拶の回のチケットが取れなくなってしまったのは残念なところ。

今回は「子供が気持ちいいくらいにワガママを突き通し、まわりの素敵な大人達がそれを全力で支える」お話しだなあと感じました。 ずっと実年齢より精神年齢の方が高いキャラクターを主役クラスに置く傾向があったので、なかなか新鮮でした。

何か一つ大きな事件を乗り越えて、一回り成長した自分が現状を前向きに受け入れる、というエンディングは、 「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」あたりでも描いていた新海監督の普遍的なテーマで、 過去作品に比べてそれがもの凄く伝わりやすかったんじゃないかなと思います。 新海監督、過去作のフィードバックを受けて貪欲に作品をリファインしていく姿勢が本当に凄いなあと思いました。

過去作ファンのためのファンサービスも旺盛で、妥協せずにあらゆる人に楽しんで貰おうと思って作られてるんだなあと感じました。 新海監督の作品は、作品そのものの出来もそうなんですが、それを通して見える監督の作り手としての姿勢が本当に好きで。

ところで、新海監督の描く都会の景色(主に新宿)が本当に綺麗なのはいつものことなのですが、 今回凄いなと思ったのは映画を見終わって現実に戻り、劇中で描かれた場所と同じ風景を目にしたとき、それがめちゃくちゃ美しかったんですよ。

過去のトークショーで新海監督は「自分が辛いときに街の景色に励まされた」と言い、それを積極的に描く理由の一つとして挙げていました。 それが劇中の絵を通して共感を呼び、実際にその景色を自分の目で見たときに、同じように美しいと思えるようになってきたんです。 改めて共感を呼ぶ力が本当に強いなと感じた出来事でした。

また何回か見に行きたいですね。 複数回見ても、見るたびにいつも新しい発見があるので。

ただ精神の安定のために書いただけの話

アニメ等の作品をただの娯楽では無く、自分を構成するためのかけがえのないものにしている人はたくさん居ると思います。 そういう自分のそのうちの一人で、あの作品に出会えたから今の自分がある、とはっきり言える作品がいくつかあります。

自分にとっては「けいおん!」がそれの一つで、当時大して上手でもなく年に一度程度のライブをするくらいのバンドをやってた自分にピンポイントで刺さりました。 楽器から音を出して、人と合わせることが心の底から楽しいことを、あそこまで丁寧に描画した作品に会えたことに心が震えたことを覚えています。

その、京都アニメーションの話。

自分を構成する要素を作ってくれた人たちが、大変不幸な目に遭われてしまいました。 とても悲しく悔しい気持ちで一杯だし、同じ思いをしている人が日本中、世界中にたくさん居ることを考えると心が痛みます。

もの凄い無力感に襲われましたが、8年前の地震で自分は「変わらない日常を過ごすこと」の大切さを学びました。 そして今の自分は仕事で様々なプロダクトを作ったり、個人では技術同人誌を書こうとしている立場です。 形は違えど、同じものを作る人間として、今手を止めるわけにはいかないという意地みたいなものが湧いています。

お亡くなりになられた方の冥福を祈ります。 そして怪我をされてしまった方の無事を祈ります。 二度とこのような悲惨な事件が起こらないことを心から祈ります。

最近の話と技術書典に当選した話

今年に入ってからしばらく、会社以外の外出を全くする気が起きない現象が起こってました。 割と酷く忙しい目に遭ってたとか、その他諸々思い当たる理由が無くも無いのだが、 まあこういうものは起こるときは起こるものなので、そういうものだと諦めるしかないのです。

仕事も少し落ち着き、未だにそれ以外で外に出る気も起きてはいないのだが、 なんとなく気力的なものとかが戻りはじめてきたので、少なくともオンライン上の露出くらいは戻そうかなと。 なお、外出する気力が無かったおかげで外食が減り、結果的に健康的な食生活が遅れているのはなんとも。 健康診断に引っかかりまくって、生活習慣の改善をしてたというのも大きいけれども。

リハビリの一環というわけではないのですが、9月に行われる技術書典7に出展者側として応募し、当選しました。 なので2ヶ月後までに本を1冊仕上げなければいけなくなったわけです。 今のところ、Webアプリケーションの運用にまつわる話を書こうと思ってます。

内容としては主に、

  • アプリケーションのデプロイの自動化
  • スケールアップ
  • 簡単な死活監視
  • ログの残し方、集計、検索等
  • バックアップと復旧

みたいなことを、外部サービスをうまく使いつつ、手間とお金をあんまりかけずにやる実践的な方法をまとめる予定です。

使われているサービスというものは、頻繁に開発中に想定していなかったことが発生します。 想定外の出来事に対して、どれだけ迅速に対応出来るか、ダメージを抑えられるか、今後の改善につなげられるかという点で、 ただアプリケーションを実装するだけだと気づきにくいようなポイントを紹介できればと考えています。

Webアプリケーションに限った話ではないですが、サービスというものは作って終わりでは無く、 使われることでいろいろな問題が起こり、それを解決することで育てていくものだと思います。 開発者からのスポットがなかなか当たりにくい運用まわりの話ですが、実際のサービス運用で実施したり気づいたりしたこと、 それを実際の開発にフィードバックした話なども出来る範囲で書ければいいかなと思っています。

あと、技術書典に出展する上でサークル名を付ける必要があったので、ついでのこのblog名を変更しました。 パスタ系男子が一番お世話になる具材の名前ですね。あと、学生時代にお世話になったパスタ屋の看板メニュー名でもありますね。 学生時代はカウンターに座って調理過程をひたすら眺めて作り方を頑張って覚えてたりしてたので、ある種自分の原点的なところでもあります。

とりあえず今月中にサークルカット作らねば。

知識の深さと広さの話

久しぶりにポエム書く!

開発者としてなにかものを作る際に自分が担当してない箇所の知識をどれくらい持つべきかと言うことをちょっと考えてみました。開発者の採用面接してる中で、自分が候補者に対してものを作る上で必要となる一通りの知見を求めていることに気づいたので、どうしてそのように考えているのか整理しようと思ったのがきっかけ。

ものを作るに当たって、うちの会社はディレクターやデザイナーなど、他の役割の人とチームを組んで、それぞれの役割を担っていくことが多く、彼ら彼女らとうまくコミュニケーションをとることがプロジェクトの質を上げていくことに繋がると思っています。で、人とうまくコミュニケーションをとる際に重要なのが共通の知識だと考えています。

仕事をすすめるにあたって、役割分担の境界ってあるじゃないですか。責任範囲と言うよりは、内容的にどの職種の人が担当するか悩ましい場所。うちの会社だと例えばHTMLやCSSのコーディングやUI系のJavaScriptの実装なんかはプロジェクトによって結構開発者がやるかデザイナーがやるかが変わってきます。画面仕様考えたり進捗管理したりみたいな仕事はディレクターの状況を見て任せたり引き取ったりとまちまちです。

そのような境界にあるような仕事内容はそれぞれの職種の人の間でコミュニケーションが頻繁に行われる箇所でもあります。その境界の仕事について、開発者とデザイナー、開発者とディレクターが共通の知識を持っていないと仕事を進めるにあたっての必要なコミュニケーションをとることは出来ません。その場合、コミュニケーションの質が下がるか、コミュニケーションコストが増大するか、その両方か、いずれかの状態に陥ってしまいます。

もちろん、そんな完璧超人みたいな人がほいほい居るわけもなく、自分が出来ているかというと全然出来ていないわけですが、大事なのはそうあるべきという姿勢なのかと思います。自分の学習、成長に「これは知らなくていいや」って線を引かない人であろうとすることが大事なのかなと思っています。

 

風呂の話

アウトプットが致命的に足りてない…!AWSのFargateやAurora Serverlessが東京リージョンに来て色々触って遊んでいるので、そのうちになんか書きます。

毎年夏になると毎日湯船にのんびりつかるようになる。38℃程度のぬるま湯に30分くらいかけて入るのがとても気持ちがいいのです。

夏のぬるま湯におすすめの入浴剤を上げておきます。

【医薬部外品】きき湯ファインヒート爽快リフレッシュ400g入浴剤
 
バブ メディケイティッド 冷涼クール 6錠入

バブ メディケイティッド 冷涼クール 6錠入

 

どちらも炭酸ガスが多めに含まれているので、血行がよくなり睡眠の質が上がる感じ。それに加えてメントールで体の表面はスーッとして爽快感があります。見た目のお湯も澄んだ青で涼しげなのもいい感じです。

風呂でお仕事のslackに返信している時は「本当にこれでリラックス出来てるのだろうか…」と思うこともあるが、それはそれで。

 

Oculus goが届いたんよという話

去年末くらいからずっと「2018年初頭発売開始!」と公式サイトに出続け、「2018年初頭っていつやねん!」ってずっと思っていたOculus goですが、ゴールデンウィークに入る頃に突如発売開始。

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届いた。注文フォームが日本語に対応していたので、油断して届け先を日本語で書いたら、謎の英字変換されていて、よく無事に届いたなと感心しました。今販売サイト見ると、「ローマ字表記で入力してください」と注意書きがありますね。

さて、何故Oculus goを購入したのか。それは「寝っ転がって、Netflix(および、ブラウザで閲覧できる各動画配信サイト)が見られる」という使用方法に惹かれたからです。VRという言葉から今までそれほど出てこなかったこの身近な、悪い言い方をすれば志の低い体験。ここに、なんとなくVRが次のステージに上ったと個人的に思ったのです。

Virtual Reality。仮想現実と日本語では訳されたりしますが、Virtualはどちらかというと「実質的な」という意味合いが正しい単語です。「実際にはそのような形をしていないけれども、あたかも実質的にそのものであるような」というのが正しいVirtualのイメージですかね。計算機屋さんなら、Virtual Memoryを想定すると分かりやすいかも。そう考えると、今までのVRが現実世界における何かの実質的なオルタナティブであったことはそれほど無かったと思います。

で、寝っ転がって動画が見られるという話。これは紛れもなくVirtual Realityだと感じました。現実には存在しない大スクリーンを、「実質的にそのものであるように」体験できるのがOculus goによる動画視聴です。画面解像度の問題や視野角の問題もあり、まだ現実の大スクリーンには及びませんが、間違いなくそこに向けて近づいているものであると思います。今まで手に入らなかったものを、実質的に手に入れてしまえるようになる未来を、NetflixのアプリとOculus goの手軽さから感じたわけです。

ちなみに弱視の知人が、遠くのものをスマートフォンで撮影して間近で見ることで視力をカバーしていることがあるんだけども、そういう人がOculus go見たらどう見えるのかな。ちゃんと見えるなら、これは弱視の人にとっては凄いデバイスになるよね。