指導について

mixi日記に勢いで書いたエントリをせっかくなので転載。

大学を博士課程まで進んだり、就職した会社でいきなり最年長だったりと、だいたい年下の多い環境で育ってきてるので、立場的には指導をする側の立場でのお話になるかな。

とはいえ、今まで誰かを意識して指導したことはないし、たぶんこれからもない。単純に人にものを教えるほど自分が有能じゃないって言うのを自覚しているだけ。

とはいえ、常に先輩としての立ち振る舞いは要求されてたわけで、そん時(今もか)に心がけてたことが3つある。3つあるって書いたけどいまんとこ2つくらいしか思いついてないなぁ。推敲なしの一発書きが流行ってるらしいのでw

ひとつは、自分が何かに興味を持ったきっかけを他人と共有したい、ということ。成長なんて人から言われてするもんじゃなくて、自分で努力して成長していくもんだと思ってるし、そういうもんじゃないと意味がないとも思っている。なので、そのきっかけを人に伝えることが大事だと思っている。「きっかけを与えてあげる」とか言うつもりはなくて、自分の経験を単純に他人に話すだけ。これは好きでやってることだし、拾ってくれる人がいればうれしいな、という程度。

2つは、自分が成長しなければ意味がないと思っている、ということ。人に何かを与えてあげられるほど偉い人間じゃないので、自分の成長に他人を巻き込むくらいしかできることはないと思っている。

3つめは、ええと、まだ思いつかない。プレゼンの仕方で、何かを列挙するときは必ず奇数にしろ、とか言われたような気がするんだよなぁ、2つしかなくても、「以下の3つがあります」と言い切るような。なんか、奇数って説得力あるらしい。

ああそうだ、じゃあ3つめ。上の2つでも同じことを言ってるんだけど、自分が他人に何かをしてあげてるとは決して思わない、ということ。自分の話を聞いている人間は指導されていると思ってるかもしれないんだけど、自分は単にしゃべってるだけ。だいたい思い付き。その思い付きの積み重ねの中にこそ自分の考えが横たわってるような気がしてるし、人と話すことでそれがだんだんまとまっていく感じ。それを受けて一緒に成長できればいいなぁ、位のつもりで人と話してる。

そう思って考えると、今まで自分がほぼ出来ると思ってることを他人に教えた記憶は非常勤講師の仕事だったり授業のアシスタント以外ではあんまりないなぁ。自分がやりたいこと、問題意識をもってること、これからやろうとしていることを共有しようと人と話してた気がする。

自分に何かを教えてもらおうとしている人とは確かに相性が悪かったなぁ。ほっといても勝手に進んでいくような人で、それでいてちゃんと人の話を聞くような人間とは相性がいいなぁ。まぁ、でもそれは自分に限らず普通のことか。

もし、ひとつだけ自分が他人に指導できることがあるとするならば。

「俺なんかに頼らず、自分で何とかしろ」

ということぐらいかなぁ。自分の能力程度でキャップされて終わりだと思うし、一方的に頼られるのは自分だって面白くない。まぁその程度の教育心のかけらを微塵も持ち合わせていないので。本音を言えば自分で抱えている難題を撒き散らかして、少しでも拾って答えを出してくれる人が回りにいてくれるとうれしいなぁ、程度ですね。

指導される側、としての立場で言うと、本当に今まで周りの人間に恵まれていて、後輩先輩問わずに教わることが多かったと思う。これは本当にありがたいことです。そんだけの幸運があって、ようやく人並み程度にお仕事できる程度の人間なんで、その自覚さえ持ち続けていれば人並み程度には成長できるかなぁと思ってます。

せめて一人で自分の食い扶持が稼げるくらいには成長したいなぁ、とは思うけれども。